「たまこラブストーリー」レビュー 心理描写と「たまこまーけっと」との関係を中心に

これまで、京都アニメーションについては「演出力こそ醍醐味」と思っていたのだけれど、「たまこラブストーリー」は、それだけじゃなかった。ただ、ではいったい何がとくべつ良かったのかと言われるとまだよく分からないまま、でも感動したから何かしら書き留めておこうという具合で、感想を書いている。

正直なところ、僕は京都アニメーションに対して、あらかじめかなり高い信頼をおいている。しかも今回は、予告を何度も見てしまうほど、本編を見ることを心待ちにしていた。そういうことで、全然客観的に視聴できていなくて、だから「どれそれが良かった」と分析するのが難しくなっているのかもしれない。

でもまあ、とりあえず思ったところを書いてみる。以下、ネタバレを含む。

 

丁寧な心理描写

 

作品の流れは、予告や監督のインタビューなどからもだいたい予想がつく通り、「もち蔵がたまこに長年の想いを打ち明けて、たまこがそれに返事をする」という、いたってシンプルなもの。でもその間、二人をはじめ、登場人物のあいだで繰り広げられる感情の揺れを、言動や演出でこれでもかというほど丁寧に描いている。その丁寧な心理描写が、今回の主題として京アニが目指したものだったんじゃないかと思えるくらいに。

で、見ている側の感情は、登場人物に引きずり込まれる。物語の視点は、はじめは告白しようと勇むもち蔵の側にあって、告白した時点から、その想いにどう答えようかと悩むたまこの側へと移るのだけど、少なくとも僕は、もち蔵の言動に、自分も経験した決意とか、不安とか、後悔とか、そういうものを思い出させられた。「ああ、僕もああいうことしたなあ」と。その引力、説得力がすごかった。「告白する」と周りに告げることで勢いづけようとしたり、「投げた糸電話を相手がキャッチできたら言う」なんてまじないめいたものの力に頼ろうとしたり。やっぱりみんなああいうことするのだね。

たまこサイドもそう。主人公だし当然なんだけど、こっちがメイン。「お餅」を「もち蔵」とひたすら言い間違えたり、顔を合わせまいと行動が奇妙になったりとか、告白受けたての時はラブコメ調なんだけど、少しずつ冷静さを取り戻していって、また周りが見えるようになっていく、その不安定になる数日間に、すごく説得力がある。

心の変化って外面には表れにくいから、丁寧に扱おうとすればするほど、作品としては間延びしがちになると思う。でもこの作品はそれを全然感じさせなかった点で、構成にもかなり力を入れたことが想像できた。特にこの物語の場合、舞台は家か商店街か学校ばかりで、環境を変化させるのは難しい。雨を降らせたり、折々にもち蔵の視点を交ぜたり、福が入院したり、早朝の商店街に目を向けさせたり、回想を入れたりして、たまこが少しずつ変化していく様子に、うまく観客をついてこさせていた。

ただ、心理描写という点でいえばベストシーンは、告白を知った史織が「大路君すごい…! 大路君…」って、誰に対してでもなく言うところ。リアリティがものすごい。ありがちな「えーっ! 告白!?」「しっ、声が大きいよ…!」云々なんてやりとりではなく、恋の現場を目の当たりにした驚きと感動と昂奮を表現してみせる。その2回目の「大路君…」を言わせた美学って、いったい何なのか。

複雑な読み解きは少ない作品だと思う。バトンとかキャッチとかバランスとか、結構分かりやすいし、中学生くらいなら、それと心情を結びつけるくらいはできると思う。それでもまた見たくなるのは、そういう繊細な心理描写をどこまで、どんな風に追求しているのかを知りたいからだ。

 

たまこまーけっと」との関係

 

「テレビシリーズの『たまこまーけっと』を見ていなくても楽しめるけど、見ていれば感動は大きい」といった類のことは、ネットですでに多くの人が言っていて、僕もその通りだと思う。特に豆大がひなこへ贈った歌は、劇中でも効果的に使われていて、背景を知っていればなお楽しいのは間違いない。でも、もっとメタな視点で見ると、映画はテレビシリーズと対比的に描かれていることに気づく。以下、「たまこまーけっと」のネタバレを含む。

たまこまーけっと」では、たまこが南の島の国のお妃候補として取り上げられ、商店街はその話題でもちきりになる。たまこ自身はポイントカードが50枚貯まればもらえるメダルに大喜びしている一方で、しゃべる鳥を見ても大して驚きもしなかった商店街の人たちが、店を閉めてまで寄り合って話し合う。「たまこが幸せだったらそれでいい」なんて言葉をかけ、たまこに「なんだよう、みんな…! そんなに出てってほしいのか。みんなまとめて、お餅にしてやろうか…!」と言わしめる。

言うまでもなく、商店街が動揺している時に、たまこはいたって普段通りだった。それが今回、真逆の構図になる。たまこが動揺を表に出しまくっているそばで、商店街はいつも通りだった。いつもと同じように店を開ける支度が始まり、たまこの異変を気にもかけず「たまちゃん、おはよう」と声をかける。たしかに高校3年という人生のステージで、友だちの視界にはそれぞれの進路が入り始めているし、ただの幼馴染だと思っていた相手から告白されるしで、同年代のみんなは変わり始めているけれど、変わらない日常をこれからも続けていく人たちがいることに、たまこは気づく。自分の一部が変わっても、自分は自分のままでいられることへの安心を得る。

この対比の妙に気づくと、テレビシリーズで「不要だった」と冗談めかして言われがちなデラたちの意味にも気づくことができる。「たまこが妃になるかもしれない」という、商店街にとっての激震は、デラたちのように、外部から刺激を与える「異人」がいなくては成り立たなかったものだから。もちろん、しゃべる鳥でなくてもよかったんだけど。

映画は、単体の作品としても十分に楽しめるが、テレビシリーズを補完するものだったと考えると、なお面白い。テレビシリーズでは特別な意味を持たなかった「バトン部」という記号も、糸電話をキャッチすることも、テレビを一通り見ていれば、より意味のあることに思える。このための伏線だったのかと思わされるくらいに。以上、「たまこまーけっと」のネタバレ終わり。

 

他にも言及したい箇所はいろいろある。告白を受けたばかりのたまこが、何も見えない状態で商店街を駆けていく表現はさすがだと思った。みどり、かんな、史織のいずれもが「らしい」形で背中を押していたのにも身悶えしたし、ラストシーンへの疾走感や締めの潔さには胸が熱くなった。豆大の繊細な親心も少ない言動でうまく見せていたと思う。以上、ネタバレ終わり。

 

いずれにせよ良かった。もう一度見たいけど、上映している劇場が少ないのが難点。だからDVDが出たら迷わず買う。ていうかパンフレット買ってないのが悔やまれる。