「PK」

 マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 ―サイレンス―」を「陰」とするなら、この映画は「陽」。宗教とは何か、信仰とは何かを明るく問いかける。宗教学の入門編にいい映画だと思う。

 面白いのは、PKが神の存在を信じているところ。信じているからこそ、あらゆる宗教を通じてどうにか神にアクセスしようとする。なりふり構わず無我夢中に神を追いかけていく姿は、他の誰よりも信心深く映る。皮肉が効いている。

 チャレンジングな映画だと思う。日本のように宗教がそこまで重要でない地域ではこの映画が生まれる土壌がないし、かといって信心深い国であればあるほど作りにくい映画だ。隣国のパキスタンとの関係性を映画の大事な要素の一つとして描いている点も、生半可じゃできないだろう。僕らがこの映画を観るのと同じような気持ちで、インドの人たちは観れたのだろうか。

 「きっと、うまくいく」のラージクマール・ヒラニ監督とアミール・カーンが再びタッグを組んだ映画と聞いていたから、長く楽しみにしていてようやく観ることができた。「きっと、うまくいく」ほどの興奮と感動は味わえなかったものの、面白い映画だった。

 あとインド映画の割に踊るシーンは少なかった。もうちょっと踊ってもらっていい。

PK ピーケイ [DVD]

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きっと、うまくいく [DVD]

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「出会いなおし」

 この1作前の「みかづき」で本屋大賞2位となった森絵都の短編集。6編が収められているが、いずれもタイトルの通り「出会いなおし」が物語の重要なファクターとなっている。

 表題作の「出会いなおし」に始まり、「カブと塩昆布のサラダ」までは、森絵都らしい日常の妙味を切り取った作品だった。「カブと塩昆布のサラダ」は1ページ分丸ごと使うほどのカブ料理の羅列もあって、それはさすがに森絵都としては新しい手法だと思ったけれど、全体に通じる軽妙さはやはりいつもの森絵都だった。

 お、と思ったのは「ママ」から。状況を明確に説明せず、ただし物語への吸引力は強く、という書き出しにうならされた。その後「むすびめ」で森絵都らしい爽やかさを取り戻して、驚かされたのは最後の2編。「テールライト」と「青空」。

 

 「テールライト」は、舞台や時代、主人公の設定がそれぞれ異なる4つの掌編からなり、その全てが主人公の切なる祈りのシーンで幕を閉じる構成になっている。4本の関連はそれだけで、一読した限り、隠された設定で4本がつながっているということもないように思う。

 中でもハッとさせられるのが、2本目と4本目。2本目は闘牛の視点に、4本目はある施設の技術者という視点で描かれている。まず2本目は動物の視点というところが森絵都としては斬新だった。4本目は、物語を読み進めるうちに不穏な空気が漂い始め、それとともに主人公がどういう施設で働いているのか、また物語の舞台がいつの、どこなのかが、だんだんと明らかになっていく。明示されはしないけれど、ピンと来る。その終わり方は凄絶という言葉がしっくりくる。

 

 そして「青空」。爽やかなタイトが似つかわしくないほど、こちらもショッキングな作品。物語の軸を作っているのは、高速道路でのわずか数秒の出来事。主人公の絶妙な語り口で、読者を飽きさせず、また呆れさせもせずに物語に付いてこさせる。そして主人公と同じような緊張感を与え、主人公と同じように、命以上の何かまで救われた気持ちにさせる。そうした高い技術が詰まった1作だと思う。

 

 森絵都の短編でこれほど強い読後感を残すものって、これまであっただろうか。他の短編も読み返してみようかと思った。

出会いなおし

出会いなおし

 

「ヴィットリオ広場のオーケストラ」

 ノンフィクションかと思って借りたらドキュメンタリーだった。

 イタリア・ローマで暮らす移民の音楽家たちを集めて楽団を組み、閉鎖の危機にあったアポロ座で公演するまで、2001年から2002年までを追った作品。

 楽団員集めに映画のほとんどの時間を割いている。実際に楽団員確保こそが最も多くの、というかほとんどの時間を費やしたからそうした構成にならざるをえないのだろうけど、映画としてはやや間延びする印象は否めない。それよりも、公演の様子やエンディングで流れた曲の演奏を見たかった。

 ドキュメンタリーという手法により、ノンフィクションよりも描かれ方は淡々としている。ただ、だからこそリアルなドラマ性を感じさせるという面白さはあった。映像の粗さや音響の残念なところはまあ仕方ないんだろう。

  移民法って2001年の秋には改定済みだったんだろうか。この楽団の活躍が、移民に対するローマ市民の感情にどんな変化をもたらしたのか、あるいはその力まではなかったのか、気になるところではある。

ヴィットリオ広場のオーケストラ [DVD]

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「7月4日に生まれて」

 ベトナム戦争の帰還兵が、下半身まひとなった体や過酷な戦争体験、信じていた祖国や周りの人々から裏切られた失望感から、激しく苦悩しながら生きる道を探る話。良い映画だと思う。 

 

 というのは表面的なストーリーにすぎなくて、もうちょっと俯瞰的に見ると、戦争体験が人々をいかに分断していくかという過程を描いた映画だと言える。「戦場を体験した者」と「戦場を体験していない者」の分断はもちろん、「戦場を体験した者」と「戦場を体験した者を抱える家族」の間にも、それぞれ違った種類の苦しみが分断を生む。さらには同じ戦場体験者同士でさえ、「自分の経験は誰よりも酷いものだった」「お前が経験したのは本物の戦場じゃない」といった強固な被害者感情が、体験や苦しみの共有を阻んでしまう。そうしてどんどん孤立が深まっていく。

 孤立した主人公の苦しみがようやく理解されるのは、戦場で誤って銃口を向けてしまった仲間の家族に会いに行った時。自暴自棄になるでもなく、全てを神や国家のせいにするのでもなく、静かに自分の過ちと向き合うことで、他人の理解を得ることができた。帰還兵に限らず、さまざまな要因で心に傷を負った人同士でこうして静かに体験を話し合うことで回復していくプログラムは、いまでこそよく知られるようになったけれど、当時はそうした仕組みがなかったのかな。

 また、分断を味わった人々が「なぜ私たちはこんなことになったのか」と考えたとき、行きつく先は「戦争こそが元凶だ」という答えになる。反戦デモに身を投じている人たちはそれぞれ、友人とか家族とか、あるいは自分自身が戦場に身を置いたことでさまざまな分断を味わった体験があり、戦争を憎むようになったのだろう。実際にそうだったかは別として、そう思わせる描き方をしていて、説得力があった。

 

 それにしてもオリバー・ストーンは、戦争を経験して風貌が激変してしまった人の描き方がうまい。プラトーンもすさまじかった。

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再利用

それほど記事も書いていないのに放置していたこのブログを整理して、再利用の道を探ることにした。

更新頻度は相変わらず少ないだろうけど。

 

「たまこラブストーリー」レビュー 心理描写と「たまこまーけっと」との関係を中心に

これまで、京都アニメーションについては「演出力こそ醍醐味」と思っていたのだけれど、「たまこラブストーリー」は、それだけじゃなかった。ただ、ではいったい何がとくべつ良かったのかと言われるとまだよく分からないまま、でも感動したから何かしら書き留めておこうという具合で、感想を書いている。

正直なところ、僕は京都アニメーションに対して、あらかじめかなり高い信頼をおいている。しかも今回は、予告を何度も見てしまうほど、本編を見ることを心待ちにしていた。そういうことで、全然客観的に視聴できていなくて、だから「どれそれが良かった」と分析するのが難しくなっているのかもしれない。

でもまあ、とりあえず思ったところを書いてみる。以下、ネタバレを含む。

 

丁寧な心理描写

 

作品の流れは、予告や監督のインタビューなどからもだいたい予想がつく通り、「もち蔵がたまこに長年の想いを打ち明けて、たまこがそれに返事をする」という、いたってシンプルなもの。でもその間、二人をはじめ、登場人物のあいだで繰り広げられる感情の揺れを、言動や演出でこれでもかというほど丁寧に描いている。その丁寧な心理描写が、今回の主題として京アニが目指したものだったんじゃないかと思えるくらいに。

で、見ている側の感情は、登場人物に引きずり込まれる。物語の視点は、はじめは告白しようと勇むもち蔵の側にあって、告白した時点から、その想いにどう答えようかと悩むたまこの側へと移るのだけど、少なくとも僕は、もち蔵の言動に、自分も経験した決意とか、不安とか、後悔とか、そういうものを思い出させられた。「ああ、僕もああいうことしたなあ」と。その引力、説得力がすごかった。「告白する」と周りに告げることで勢いづけようとしたり、「投げた糸電話を相手がキャッチできたら言う」なんてまじないめいたものの力に頼ろうとしたり。やっぱりみんなああいうことするのだね。

たまこサイドもそう。主人公だし当然なんだけど、こっちがメイン。「お餅」を「もち蔵」とひたすら言い間違えたり、顔を合わせまいと行動が奇妙になったりとか、告白受けたての時はラブコメ調なんだけど、少しずつ冷静さを取り戻していって、また周りが見えるようになっていく、その不安定になる数日間に、すごく説得力がある。

心の変化って外面には表れにくいから、丁寧に扱おうとすればするほど、作品としては間延びしがちになると思う。でもこの作品はそれを全然感じさせなかった点で、構成にもかなり力を入れたことが想像できた。特にこの物語の場合、舞台は家か商店街か学校ばかりで、環境を変化させるのは難しい。雨を降らせたり、折々にもち蔵の視点を交ぜたり、福が入院したり、早朝の商店街に目を向けさせたり、回想を入れたりして、たまこが少しずつ変化していく様子に、うまく観客をついてこさせていた。

ただ、心理描写という点でいえばベストシーンは、告白を知った史織が「大路君すごい…! 大路君…」って、誰に対してでもなく言うところ。リアリティがものすごい。ありがちな「えーっ! 告白!?」「しっ、声が大きいよ…!」云々なんてやりとりではなく、恋の現場を目の当たりにした驚きと感動と昂奮を表現してみせる。その2回目の「大路君…」を言わせた美学って、いったい何なのか。

複雑な読み解きは少ない作品だと思う。バトンとかキャッチとかバランスとか、結構分かりやすいし、中学生くらいなら、それと心情を結びつけるくらいはできると思う。それでもまた見たくなるのは、そういう繊細な心理描写をどこまで、どんな風に追求しているのかを知りたいからだ。

 

たまこまーけっと」との関係

 

「テレビシリーズの『たまこまーけっと』を見ていなくても楽しめるけど、見ていれば感動は大きい」といった類のことは、ネットですでに多くの人が言っていて、僕もその通りだと思う。特に豆大がひなこへ贈った歌は、劇中でも効果的に使われていて、背景を知っていればなお楽しいのは間違いない。でも、もっとメタな視点で見ると、映画はテレビシリーズと対比的に描かれていることに気づく。以下、「たまこまーけっと」のネタバレを含む。

たまこまーけっと」では、たまこが南の島の国のお妃候補として取り上げられ、商店街はその話題でもちきりになる。たまこ自身はポイントカードが50枚貯まればもらえるメダルに大喜びしている一方で、しゃべる鳥を見ても大して驚きもしなかった商店街の人たちが、店を閉めてまで寄り合って話し合う。「たまこが幸せだったらそれでいい」なんて言葉をかけ、たまこに「なんだよう、みんな…! そんなに出てってほしいのか。みんなまとめて、お餅にしてやろうか…!」と言わしめる。

言うまでもなく、商店街が動揺している時に、たまこはいたって普段通りだった。それが今回、真逆の構図になる。たまこが動揺を表に出しまくっているそばで、商店街はいつも通りだった。いつもと同じように店を開ける支度が始まり、たまこの異変を気にもかけず「たまちゃん、おはよう」と声をかける。たしかに高校3年という人生のステージで、友だちの視界にはそれぞれの進路が入り始めているし、ただの幼馴染だと思っていた相手から告白されるしで、同年代のみんなは変わり始めているけれど、変わらない日常をこれからも続けていく人たちがいることに、たまこは気づく。自分の一部が変わっても、自分は自分のままでいられることへの安心を得る。

この対比の妙に気づくと、テレビシリーズで「不要だった」と冗談めかして言われがちなデラたちの意味にも気づくことができる。「たまこが妃になるかもしれない」という、商店街にとっての激震は、デラたちのように、外部から刺激を与える「異人」がいなくては成り立たなかったものだから。もちろん、しゃべる鳥でなくてもよかったんだけど。

映画は、単体の作品としても十分に楽しめるが、テレビシリーズを補完するものだったと考えると、なお面白い。テレビシリーズでは特別な意味を持たなかった「バトン部」という記号も、糸電話をキャッチすることも、テレビを一通り見ていれば、より意味のあることに思える。このための伏線だったのかと思わされるくらいに。以上、「たまこまーけっと」のネタバレ終わり。

 

他にも言及したい箇所はいろいろある。告白を受けたばかりのたまこが、何も見えない状態で商店街を駆けていく表現はさすがだと思った。みどり、かんな、史織のいずれもが「らしい」形で背中を押していたのにも身悶えしたし、ラストシーンへの疾走感や締めの潔さには胸が熱くなった。豆大の繊細な親心も少ない言動でうまく見せていたと思う。以上、ネタバレ終わり。

 

いずれにせよ良かった。もう一度見たいけど、上映している劇場が少ないのが難点。だからDVDが出たら迷わず買う。ていうかパンフレット買ってないのが悔やまれる。

2014年1月22日に発売された2枚のアルバム「TANCOBUCHIN」と「KGSD」を聞いた素人の感想

ガールズバンド「たんこぶちん」と「Victory」が22日、それぞれアルバム「TANCOBUCHIN」とミニアルバム「KGSD」を発売した。記事は書いたが、そこには盛り込めなかった感想、完全なる主観をここに書きたい。

 

 

「TANCOBUCHIN」は、既発のシングル曲「ドレミFUN LIFE」「シアワセタランチュラ」を含む12曲入り。デビュー前からのオリジナル曲としては「カラフルスニーカー」のほか、カップリングとして発表済みの「コイゴコロ」と「ヒカリ」、インディーズ盤として出した「UJIUJI」も含まれている。残り6曲のうち、彼女たち自身が手がけたものは「ソラノナミダ」(曲・詞とも)「We Gonna ROCK」(曲だけ)「走れメロディー」(詞だけ)。残りの「闘うばい!」「唇はもっと」「そんなに遠くない未来に」は提供曲だ。

 

初めて通して聞いた時は、「いろんな曲が弾けるようになったんだなあ」と思った。それはつまり、彼女たちのスキルが向上したためかもしれないし、もともとそれだけの腕はありながらそれが発揮される曲と巡り合うチャンスがなかったせいかもしれない。ただいずれにしても、2013年における彼女たちの活動が手繰り寄せた結果であることには間違いない。だから素直に、これだけ多彩な曲を、彼女たちの演奏で、声で聞けることがうれしかった。

あくまで素人の意見だが、単純に「この曲は好きだな!」と思える新曲が多かったこともある。「闘うばい!」のツービートっていうのかマーチ風っていうのかあの拍の取りやすい感じとか、疾走感の中に別れが見え隠れする歌詞や美しいコード進行がじんわり来る「走れメロディー」とか、効果的なピアノサウンドと大人びた歌詞がノスタルジーを誘う「そんなに遠くない未来に」とかは、特に気に入った。そういえば「走れメロディー」もキーボードはピアノだな。

 

全体を通しての構成も好みだった。特に、デビュー曲でスタートとしては何よりふさわしい「ドレミFUN LIFE」の次に、中学3年の時に初めて作った「カラフルスニーカー」を持ってきたところと、「走れメロディー」「そんなに遠くない未来に」のラスト2曲。前2曲は、曲ができた時期や経緯からしても、そして曲のイメージからしても明らかにスタートを思わせるし、後2曲はその曲間にちょうど「卒業」の2文字を想起させる。

あとこれはただの妄想なんだろうけど、中学3年の彼女たちが履いていた「カラフルスニーカー」が、「走れメロディー」では「虹色の夢を見せてくれた」「履きくたびれてくスニーカー」として登場している。ように見える。その関係が、なんだかまるで3年越しのアンサーソングのように思えたのだ。いずれも作詞したのは彼女たち。この2曲の間に、頼もしい成長を感じたのだった。

鶴﨑輝一さんが作詞・作曲した「そんなに遠くない未来に」は本当にいい。彼女たちと同じくらいの歳だったころに想像していた「そんなに遠くない未来」を、いつの間にか追い越してしまっていることに気付かせる。特に大人にとってパンチの強い曲だったと思う。聞いているだけれ、憧憬とか郷愁とか戻れない寂しさとか、もう半端じゃなくあふれてくる。

 

先に挙げた「お気に入りの3曲」は、いずれもメンバーの作曲したものじゃない。提供された曲ばかり。彼女たち自身が作った「ソラノナミダ」も「We Gonna ROCK」もいい曲なんだけど、僕はどうしてもあの3曲ほど惹かれるものを感じなかった。それはもちろん、曲を提供した鎌田雅人さんや鶴﨑さんはプロとして作曲や編曲で活動している人だから。比べるべくもないのは当然かもしれない。でもそこは、彼女たちの今後の課題であり、大きな伸び代でもあるのだと思う。

もちろん、これは個人的な感覚で書いていることだから、「ソラノナミダ」や「We Gonna ROCK」こそがいいのだという人もいるだろうし、それを否定するつもりもない。何せ僕は音楽の素人だし。

でも、ああいう、何ていうのかな。何が違うんだろう。一つの曲で、いろいろ変化がありながらも一貫性があるというか、そういう曲をもし彼女たちが書いてくれたら、その時はきっと、とてもいいものになる気がしている。だって、「走れメロディー」の歌詞は本当に素晴らしかったから。

 

いずれにせよ、このアルバムから、たんこぶちんはまた新しいスタートを切ることになるんだろう。個性あふれる彼女たちののびのびとした雰囲気は、見ていて気持ちがいい。彼女たちが今後、また新しい雰囲気の曲をたくさん聞かせてくれるのが本当に楽しみだ。

あと、YURIはライブでカッコよすぎ。

 

 

次に「KGSD」。5曲入りのミニアルバム。表題曲の「KGSD」が今城沙々さんの作詞・作曲であるほかは、すべてメンバーが詞と曲を書いている。作詞はAYAKIが多く3曲(「I Go Everyday」、「偽物スマイル」、「HAPPY LIFE」)を手掛けていて、作曲はMAYUKO(「I Go Everyday」)、MINAMI(「偽物スマイル」)、RENA(「U」。詞も)、全員(「HAPPY LIFE」)となっており、メンバーの誰もが曲を書けるという強みを出しているともとれる。

 

実際、曲の完成度は高い。この5曲のうち、初めて聞いたのは「HAPPY LIFE」で昨年春のことだったが、その時にもう良曲として頭にすっと入ってきて、以来ずっと、またこの曲を聞きたいと思っていたほどだ。「I Go Everyday」は何と言っても「KGSD」をも凌駕する疾走感が魅力で、メインのメロディーの明るさに対し、ハードロックっぽい前間奏のギャップもいい。「偽物スマイル」は歌詞のダークネスが曲にもよく表れている。詞が洗練された「U」は壮大ささえ感じるサビまでの盛り上がりが心地よく耳に入って来る。

一言でいえば、捨て曲がまったくない。早いうちから、こうした曲を作れるという確かな才能は強みだろう。

 

このアルバムを聞いていて一番よく感じるのは、リズム隊の存在感だ。編曲の段階でベースとドラムがより良く聞こえるように調整してあるのかもしれないし、その前に聞いた「TANCOBUCHIN」とは音作りの方向性が違うというだけかもしれないが、どの曲も、2つの楽器が重低音として力強く響いているように感じる。そのためなのか、曲がしまって聞こえるというか、完成度が高く聞こえるというか、そういう効果があるように思う。個人的には何よりのお気に入りはMAYUKOのドラム。あの「パンッ」という乾いたスネアの音は、パワフルで重く響き、聞いていて本当に気持ちがいいのだ。

そしてこのリズム隊が、Victoryを、彼女たちの持ち味である70~80年代のロックに歩み寄らせているのだと思う。すなわち、VictoryをVictoryたらしめている。もちろん、耳馴染みの良いギターリフやAYAKIの魂のボーカルもVictoryにとって不可欠な要素だが、そこにキレやタフネスやパワーを決定的に添えるのがリズム隊である。というのはもちろん、私的な意見。何回も言うけどなんせ素人なので、まったく的外れかもしれない。

 

またこのアルバムも「TANCOBUCHIN」同様、彼女たちはいろんな雰囲気の曲がプレイできることを印象づけるものでもある。遊び心を感じる曲はないが、それはおそらく路線の違いで、彼女たちはこの5曲にVictoryの「本気」をかけているのだという気がする。今の彼女たちにとって渾身の、珠玉の5曲なのだ。AYAKIがこのアルバムを一言で表現するなら「等身大」だと言っていたが、それはまさにその通りで、このアルバム以上に自分たちを大きく見せることはできないと言ってしまえるほどに、今の全力をかけた作品なのだ。

野心的を通り越して挑戦的なジャケットで、一部でAC/DCのファンを怒らせる展開になっているようだ。たしかに、先達の伝説的なアルバムにインパクトの力を借りるよりも、「等身大」の作品だからこそ、等身大の彼女たちの姿でジャケットを作ってもよかったのかもしれない。でもまあ僕はAC/DCのファンではないし、5人が5通りの表情で存分に楽しんでいる歌詞カードを見ていたら、なんだかどうでもよくなった。Victoryにとっては新たな一歩として刻まれたであろうこのミニアルバム。これからの快進撃を期待させるには十分な内容だったんじゃないかと、僕は思う。