「時代」について

 改元に伴って、至る所で「平成時代」「令和時代」という表現を目にするが、どうもしっくりこない。「時代」ってそういうもんだっけ、と思ってしまう。

 日本史における「〇〇時代」は、奈良時代から近代に入るまで、基本的に統治機構や首都の入れ替わりによって区切られていたものだと思う。あるいはこの区分に古墳時代まで含める考え方もあるかもしれない。文字文化のない縄文と弥生については文明の変化で区分されていると認識している。

 それが明治以降、天皇の死という、ある意味で個人の身に起こる出来事によって「時代」を区切る考え方が定着しつつあるようだ。そうなると、明治以降の時代区分に歴史的な意味はほとんど見いだせなくなる。

 江戸から明治にかけてはたしかに統治機構の大きな改編があった。主権が武士から天皇へと移行した。したがってそこを一つの時代の区切りとすることに異論はない。首都も江戸から東京になったし。

 でも、その次にやってくる時代の区切りとは、明治天皇崩御ではなく、終戦ではないだろうか。あるいは日本国憲法の施行。天皇が現人神から国民の象徴となり、主権は国民に移るという、統治機構の大きな改編がここでも起こっている。むしろこれを時代の区切りとしない理由が見つからない。

 だから、ささやかな抵抗として個人的に「期」を使うようにしている。「明治期」「大正期」「昭和期」「平成期」。これらを「時代」と呼んでしまうことに対して、同じように違和感を覚えている人がいたらお薦めしたい。

 

 ちなみに蛇足だが、奈良時代って学生の頃は地味な印象しか抱いていなかったけど、よく考えたらわずか80年余りの間に首都が3度も移っているなんてものすごい激動の時代だ。昭和とか平成の比じゃなかったんじゃないか。

 現代の首都も早くどこかへ移ればいいのに、と思う。